奈良を見て回って感じたこと・・・
万葉ののどかでゆったりとした世界は私の幻想だったのかしらと吹き飛ぶほどの、
凄まじいまでの、唐へのあこがれと執念!
決して再現はできないことは百も承知の上で、この日本の地に、できるだけ唐に近いものを創り出したかったのではないだろうか。
まさに日本が「stay hungry …貪欲であれ」(by Steve Jobs)の時代。
選ばれしエリートたちは日本を背負い、自分の人生を賭けて命がけで唐に渡り、さまざまな事物を持ち帰った。
平城京(710年遷都)は唐の長安城をモデルにつくられた。
平城宮はその北端部に位置しており、約1km四方の、京都の中心地である。
下の写真は朱雀門から眺める平城宮跡地。私も近鉄線に乗って、この中を行ったり来たり。
平城宮跡はまだ草ぼうぼうの荒地もあるけれど、歴史公園として急ピッチで整備が行われているようす。
きっと5年後、10年後には大きく景色が変わっているだろう。
何もなくのどかな広々とした景色は現代のもの。
彩色豊かな建造物が出現すると、華やかな天平文化が開花していたことを肌で感じる。
薬師寺
680年に天武天皇により発願、飛鳥の地で完成したが、710年の平城京遷都に合わせて移された。
火災によって後に復興された建物も多いとのこと。
薬の壺をもったここの薬師如来は、今回見たお釈迦様の中でもっとも印象深かった。
人間と植物の根源的なつながり…植物は人間にとって薬であり食糧であるということを改めて思い出す。
薬草の知識と技術は、命を預かる医療そのものであり、それを日本にもたらすことは多くの人々の切なる願いであったろう。神聖な気持ちで参拝させていただいた。
近鉄奈良駅からの行き帰りに奈良公園の横を歩くと、たくさんのニホンジカたちがいる。
おそらく危険を承知で、朝、道路の側溝にたまった水を飲みに来ていた。
長野では狩猟対象になっている、困り者のシカたち。
しかし奈良では、神がシカに乗って降りて来たという伝説があり「神鹿」と呼ばれ大切にされているとのこと。
なかなかそこに共感できない私。数もフンもかなり多いよ・・・
東大寺
8世紀のまさに天平時代に、聖武天皇が国力を尽くして建立した寺と大仏である。
こちらの門は彩色が褪せている。
鮮やかな色彩の建造物は、その時代にタイムスリップしたような臨場感を感じさせる。
そして、色褪せた建造物は、はるかなる1000年を超える時の流れと、
なお現代にその姿を残す樹木の存在感を感じさせる。
門には巨大な武神がいて守護のお役目。これは毘沙門天。
奈良の有名どころは、どこも圧倒的に外国人の方が多かった。
のどかで静かだった奈良に、観光と建設ラッシュが押し寄せて来ているのかもしれない。
一方、奈良から1時間ほど離れた明日香村は日本人が多く、少しのんびりした雰囲気。
7世紀初頭に築造され、蘇我馬子の墓ではないかといわれる、石舞台古墳。
これが古墳の中にあるのだ・・・
相当の労力を必要としたであろう、巨石でつくられた空間に圧倒された。
今回の奈良は、まさに奈良時代へのタイプトリップ。
奈良はどこもかしこも文化財だらけで、空間がまるごと、奈良時代の保存を運命付けられているような土地であった。現在の暮らしにも厳しい景観規制がかかる。
現在と過去を、どのようにつなげて地域をつくっていくのか。なにを優先するのか。
ここのところの私のテーマは文化的景観であったので、意図せずして、タイムリーな旅となった。