河野齢蔵先生の足あとを追いかけて、博物館のOさんと上伊那農業高校におじゃましました。
上伊那農業高校は明治28年(1895)設立。歴史と伝統のある高校です。
ここの学生たちが信大農学部の前身をつくったのだとか。
河野先生はここの6代目校長(大正2年〜5年)を勤められました。この在籍時に、南アルプスを調査、スルガヒョウタンボクやコゴメヒョウタンボクなどの新種発見をしています。
ここに河野先生の立派な絵があるというお話を伺い、ぜひ見せてくださいということで、おじゃましたのでした。いろんな偶然が重なっていて、なにかめぐり合わせを感じます…
絵はたたみ一畳分ほどの大きさの大きな日本画。校長室に飾ってあります。
校長先生が資料を用意して説明してくださいました。
画題は「高山植物園」なのですが、これは白馬岳を描いています。在籍時に書かれたそうです。
雲の向こうに白馬岳の北アルプス。大雪渓。そして手前には高山植物たち。
先生が白馬で新産地を見つけたウルップソウが中央に描かれています。
ハイマツ、ハクサンイチゲ、ミヤマオダマキ、クルマユリ、チシマ(イワ?)ギキョウ…
河野先生の画号「雲峯」ではなく、「河野齢蔵」と書いているところに、意図とこだわりを感じます。
残念ながら色あせが進んで見えにくくなっているところもあります。
河野先生の画も標本も本当に細やかに、植物への深い愛情が感じられます。ほんとうに。
私もこうありたい、と祈るような気持ちになります。
構内の一角には、松本の河野家の庭から受け継いだというギボウシの仲間「タマノカンザシ」がありました。
オオバギボウシに似ていますが、中国からやってきた植物のようです。
古くは薬草でもあったそうですが、江戸時代に入ってきたとしたら園芸品種かな?
とにもかくにも、河野先生から受け継いだ植物だというのがポイント。多くの高山植物園やロックガーデンが消えていますので。
高山植物を平地で育てるのは並々ならぬ手がかかりますので、しかたがないところもあります。
現在の上伊那農業高校は、40年前に移設されたそうで、せっかくだから、と街なかの古い校舎が残っているところを見に行くことにしました。
おそらく昭和に立て替えられたと思われますが、1948年に撮影された米軍の空中写真を見ると、配置はほとんど当時と同じでした。
校長先生が用意してくださった高校の80年史に、河野先生時代に校内に何を植栽したか、詳しい記述があり、あとで空中写真と照らしあわせながらひもといてみたのですが、どうやら、先生が作られた高山植物園は、商工会議所の駐車場になっているみたい…残念ながら。
それでも、当時の正門近く、道に面したところに歴史を感じるエドヒガンとケヤキの大木があり、もしかしたら、これは当時に植えられたものかもしれない…と思わせてくれるような風情でした。