人間社会の価値観やスケールの枠組みを超える瞬間

By siki, 2020年10月23日

昨日、秋の七草と草原植生のはなしをする機会があり、

その導入部で「あなたはどんなところに自然観察のおもしろさを感じる?」と参加者に問いかけてみた。

 

そして私はアメリカネナシカズラの話をした。

アメリカネナシカズラ(ヒルガオ科) 根も葉ももたない100%寄生植物。

(これはたまたま外来植物だけど、日本に昔から自生するネナシカズラもあります。)

 

拡大してみると、吸盤をもっていて、他の植物に取りつき栄養をもらっている。

今回取りつかれていたのは、ヨモギやムラサキツメクサだった。

そしてちゃんと花だってつける。

アメリカネナシカズラをみて、

「こうはなりたくない」とか「けしからん」とか思う人がいるかもしれない。

だけど私などは逆で「なにかに寄生するのはだめだ、よくないことだ」というのは人間がつくった価値観に過ぎないんだな、と思って、視野が広がる。

 

よい、悪いという人間の判断基準を超えたところに自然はあって、そもそも私たち人間も、いろんな理由があって、それぞれの社会であるルールを採用しているだけなんだな、と気がつく。

そのいったん、人間の枠組みを超えるという感覚が私は好きだ。

植物の生き方、他の生き物もそうだけど、すごく多様で、ひたすら、それぞれに独自の生き方で生き延びている。

 

たとえば、ものすごく大きな何百年という樹木をみたときの感覚。

巨樹、というのも人間のスケールをはるかに超えている。

これは小谷村の標高1600m付近の尾根沿いでみたネズコの巨木。

地形や標高からいって、これで直径は1mを軽く超えているのだから、おそらく数百年の樹齢。

巨樹をみて、人々が敬虔なきもちになるのは、己の小ささやはかなさを感じるからなのだろう。

 

それは、写真や本で知るのもいいかもしれないけれど、

実際に目の前で、五感を使って自分が体験する、という影響はとても大きい。

そういうことがリアルで自然を観察するおもしろさのひとつだなぁと思う。