ほとんど忘れているけれど、そういえば私は大学で造林学研究室というところに在籍していた。
安曇野市出身の林学者、白澤保美(1867-1947)のことを調べているうちに、彼の残したものを読んでいるうちに思い出した。
大学でも林政、というものをひととおり習ったし、その延長線上である現在の林業のすがたをみてきた。
でも
大学の時もそして今も、林業は深刻な課題を抱えていることについて、ずっと聞かされ続けてきた。その課題に向かって果敢に立ち上がっている方々を応援しながらも、結局のところ、どうすればいいのか、私に何ができるのか、わからないままだった。
それでも、今回のようにふとした拍子に、林業への扉がぽっかりと開く時がある。
今回の入口は、白澤保美やその師である本多静六がドイツで、近代林業を学んだということ。彼らは明治の時代に新たな森づくりを目指そうと、志高く帰国したのだと思う。
しかしのちに白澤が書いた文章の中からは何度も、人間が都合よく伐採し荒れ果てていく山への切ない嘆きが聞こえた。もちろん日露戦争から第二次世界大戦まで、幾度も戦争があり、そのたびに膨大な木材が必要となる背景があったとしても。だからこそ長期的な視点で森を育てなければならない、彼はと訴えていた。
彼らがドイツで学んだ近代林業の森づくりとはどんなものだったのだろう?
それを知りたくなって、林業の本をあれこれ読んでみている。
ドイツ林業の源をたどっていくと、そこにはドイツというアイデンティティーをかたちづくる、その根っこのところにつながっているようだ。
それは、ナポレオンの侵略と覇権主義によって苦しい時代を生きたドイツにこそ生まれた。啓蒙主義という新しい時代の価値観がヨーロッパに広がった時、そのアンチテーゼとして、ロマン主義が誕生した。
そこから派生する哲学、芸術とともに、地域固有の文化や暮らしに光を当てる民俗学もここで生まれている。そういった流れをドイツ林学はしっかりと受け継いでいるということだった。
だからドイツ林学には科学だけではなくて、最初からバチバチの哲学があり、そして美学があるのだ。なるほど。
村尾行一氏は、近代ドイツ林業を以下のように説明する。
ドイツ林学が確立されたのは1878年(明治11)とされる。ちょうど、本多や白澤はその熱い洗礼を受けたことだろう。ドイツではそれまで農業的な考え方で木材を生産するような林業が行われていたがが痛烈に批判され、そのうえに建てられた学問であった。
生態系という概念が生まれた時代。ドイツ林学はすでにそのことを包括して、森づくりへの新たな舵を切っていた。
そして150年近く、ドイツは現代まで、そこから出発した思想と実践を追求し、進化させているのだ。
これは、ぜんぜんかなわないなぁと思う。
ちょっとやそっと真似しようと思ってできるレベルではない。
それなのに、私たち日本人は、ドイツの森づくりや川づくりに惹かれ続ける。憧れ続ける。
しばらく、林業の本を読み続けていこうと思う。