先日、子どもたちへの自然教育について話をする機会があり、改めてそのテーマについて考えてみた。
私はこれまでに、大人向け、子ども向けの自然観察や学習会をたくさんやってきたけれど、ここにきて、知識で伝えたことって、ほとんど残っていかないのではないかなぁと感じている。知識ではなく、自分の感覚で体験することが必要だと。
以下はインタープリテーションの分野でよく言われることだけど、もう一度。
聞いたことは忘れる To listen is to forget
見たことは思い出す To see is to remember
やったことは理解する To do is to understand
発見したことは使える To find is to use
子どもの場合、とくに小学2~3年くらいまでの子どもたちには、とにかく自然の中で楽しんでほしい。
(子どもの発達段階としても、よく9歳までは自分と外の世界の境界があいまいで、それ以降は物事をある程度対象化して認識することができるようになるといわれている)
昨年はマイマイガが大発生していて、山に行けばコナラやクリのようなブナ科の樹木にはたくさん幼虫がついていた。
最初は悲鳴をあげていた子どもたちも、1齢幼虫以外には毒がないからそっと手に乗せるくらいならだいじょうぶだよ、と教えてあげて、顔もなんとなくかわいいでしょ? ほんとうにいっしょうけんめい葉っぱ食べてるねぇ、と観察していたら、終わる頃には幼虫ってかわいい、といういう声がいくつも聞かれた。
これはほんとうにうれしい。
今の時代、これまでにないほど、自然を大切にすることが必要だといわれる社会の中で、虫が怖くて気持ち悪いなんて、ほんとうに残念すぎることだから。
ここの自然豊かな地域に暮らしているからこそ、だという気持ちもある。
生物多様性がなにか、ということをテストの回答みたいに覚えることはできるけれど、私はもっと本質的なところで、さまざまな生きものたちが私たちの命とつながっているんだ、生態系のつながりの中に自分もいるんだ、という感覚をもてることがとても大切だと思っている。
それを、遠くのすばらしい自然ではなくて、ほんとうに身近な自然から感じて学ぶことに大きな意味がある。
小学校高学年や中学生くらいになると、今度は探究して発見するような機会があるといい。
そのときに、もっとも身近な植物である、外来植物はよいテーマになると思う。
今回は、ニセアカシアを例に紹介した。
・花のつくり、セイヨウミツバチによる受粉
・アカシア蜜の蜜源として恩恵をうけていること
・明治時代に街路樹や緑化木として、アメリカから日本にやってきたこと(足尾銅山の緑化にも貢献)
・薪材としては優秀で、化石燃料が普及する前は燃料源として利用されていたこと
・樹齢30年以上経つと根を支える力が弱くなり、倒れやすくなる性質があること
・河川にもかなり広がっており、治水上は大きな問題となっていること
など…
外来種は悪者扱いされやすいけれど、私たち人間が持ち込み、そして昔も今も利用していることを知ると、認識が変わる。
じゃあどうしたらいいのか?・・・そこに正解はない。
科学と人文学の両面を知って、そこから考えていくしかないし、それこそが「探究学習」だ。
そして、こうしたステップを踏むことなしに社会の課題を解決していくことはできない。
でも私は、ちゃんと知識と情報と意見を出し合って検討していけば、なんらかの道がみえてくると思っている。
自分とは違う意見の人との話になるかもしれない。
するとそこにはコミュニケーションや合意形成の学びもある。
そんな学びを子どもの時にこそ、たくさん経験してほしいな。
そうすればきっと社会はよくなっていくと思える。それにほかに近道はないだろう。
最後に、ニセアカシアのユニークな冬芽のかお。 おサルにしか見えない💕